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色を得る。

2011/09/24 14:31
昨日はライ氏の公演に行ってきました。

Pカンパニー木島恭氏演出
<殺戮ゲーム2011>

22日 19時
23日 14時 19時
24日 14時 19時
25日 14時

場所:パフォーミングアートセンター
   (人形町より徒歩5分)

チケット:1000円



こじんまりとした舞台だからでしょうか、
ところどころ人間の視点ではなく
カメラ視点のような表現をしていてとても面白かったです。

例えば向かい合って話をしている場面で
実際に向かい合うのではなく
片方は客席を向き片方は客席に背を向けて話していたりしました。
そういえば、白黒とカラーの感じもテレビの中のような印象を受けました。
映像編集をしているような感覚が新鮮でした。


※以降はネタばれ含み無内容ですので注意。
個人的に思ったことなのであまりあてにしないでください。

内容は
謎の疫病による大量死
→病気への不安で利己的になる人・ならない人
→病気(死)を拒む社会 / 死を受け入れ人生を謳歌する老婆
→病気の終息 / 新たな不安・困難
こんな印象を受けました。

実際にはもっと沢山の要素がありましたが死を中心に考えると
まとめやすかったので。。


アバンギャルドな劇を見るとき、私は哲学の授業を思い出します。
答えがないということ、人によって違うということ、概念について考えることは生活するには不必要だけれども人生に彩色を施すためにはとても重要だということ。

アバンギャルドな劇は、概念を言葉ではなく劇で表現しているような感じがします。
だから、劇の細々とした表現を深く考えようとするとどんどんバラバラになって分からなくなるけれど、全体としてはなんとなく分かる・感じる。
そういう意味ではエヴァやウテナもなんとなく似ている気がします。
例えば私は戸川純とアートスクールとマリリンマンソンとピアノジャックとcapsleとなんか他にも色々好きだけれど、色々な要素があってその上で形成された形が私で、外から見た私の印象はきっと一つ一つの要素は見えたり見えなかったりだけども私という形(印象・イメージ)は大体同じような形をしているのじゃないでしょうか。要するに色々な要素を積み重ねて出来上がった一つの形を見せることがアバンギャルドな劇の醍醐味のような気がします。
そしてそういったものは、私にショックを与えた後もジワジワと私の血液を侵食していくのです。

漱石のこころや公房の壁のような概念を考えさせられるような小説を好むのもきっとそういう理由なのだろうな。
なんだか自分が本好きと言われる割には最近の恋愛小説やミステリ小説にまるで疎い理由がやっとわかってきた気がします。
本も映画も人と話が噛み合わないのはきっと目的が全然違うからなんだ。
社会に出てからその辺の温度差が激しくて悲しく思っています。それはきっと理由が分かっても悲しいままなのだろうけど。

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