沈澱

2011/01/31 23:19
読書

読書をするのが高等な趣味というのは、確かによくわからないですね。
国語じゃあるまいし、読みたいから読むのだと思います。あるいは、暇潰し/現実逃避/etc。

本を沢山読んでいる人には憧れますが、読書というのはただの過程ですよね。
水の入った瓶があって、読書をしたりその他の行動をすることは、その瓶の中に経験を投げ込んでいくことなんです。で、その上澄みが知識や発想だと思うんです。
(なので考え方とかメロディとかが、どっかで聞いたことのあるようなものになるのもおかしくはないと思います)

で、上澄みだけでこんな香りがするなんて!この人はどんな素敵なものに触れてきたのかしら!素敵だわ、憧れるのだわと思う訳です。



空想


最近プシュケの空想をします。
絹糸の髪を輝かせながら何かを話しかけているのです。
とても優しい表情をしているので私もその綺麗な人にお話ししたいのですが、彼女の声がちっとも聞こえません。
彼女が笑っていることも、喋っていることも、とても綺麗であるということもよく見えるのですが、この鼓膜だけが静止したままなのです。
そんな空想です。

いくつかの空想は何となく妄想と言いたくなくて、空想と言っています。
空想というのは、両目を映写機にして空気のスクリーンに投影するようなイメージがあります。
妄想というのは、頭という密室の中の演劇のようなイメージ。
昔は妄想という言葉でよかったんですが、最近は自分で妄想と言うことに謎の抵抗があって空想と言ってます。
ふと思ったけども妄想癖という言葉はよく聞くけれど、空想癖はあまり聞きません。
妄想>空想>想像(病的←→現実的)、みたいな感じなのでしょうきっと。

このところの空想は、脳内でなく外に出したいと思っているから空想としたいのかもしれません。
あと、もっと爽やかでありたいから。


拍手


拍手してくれている方、有難うございます。
拍手だけの場合、FC2さんは私の携帯にお知らせしてくれないので、なかなか気付かないのですが、最近は記事にURLを埋め込むためにパソコンからブログを見る機会が多いので「拍手が増えてる!」と気付く事が多いです。(残念ながら基本的に「過去の記事の管理」以外の機能を使いません。原文は携帯から送ってしまうし。)

拍手って不思議ですよね。
拍手する側は、コメントするまでではないけど、同意とかイイネ!という時に押すのだと思います。一方拍手された側は、誰が何で拍手をされているのか実際のところよくわからないのです。
ですから、例えば前回の「レベルE録れてなかったー!」という記事での拍手は「あ、私もレベルE見てる!」みたいな意味の拍手なのかなーと推し量る訳です。
でも推し量ったところで正解はない。
ちなみにミクシのイイネ!は誰からかわかるという点で、拍手とは似て非なるものかなと思います。

不思議だなー。
ブログというのは極めて一方的なコミュニケーションだと思うんです。
ミクシと違って拍手やコメントをくれた方に必ずしもレスポンスが出来るかと言えばそうでもない。
メルマガと違って読者人数もわからない。
だけれど、自分のブログを読んでくれている人にはとても興味があります。

こういう考えはもしかしたら、ブログや拍手という機能に私が合ってないのかもしれません。(でもミクシのようなコミュニティの中だけの日記はなんだか嫌なのです。)

以前友人から、私のブログは一部の人には面白いと思う、というようなことを言われて、その一部の人とはどのような人なのか考えています。自分でも雰囲気で、この人は読んでくれそうだなーとか読んで欲しいなーと思ったりして自分からブログを教えることもあるので、なんとなく、どんな人かわかるような気もするのですが。
もしかしたら狭量な考えかもしれない。



信号


職場の最寄り駅から職場へ向かう途中に横断歩道があります。
私は毎朝その横断歩道を横断する訳なのですけど、決まって駅から向かいの島の人々の方が10秒ほど早く横断歩道を渡り始めるのです。
こちらからも信号が変わりきるのを無視して渡る人は1人か2人はいるのですが、それでも私たちの頭上にある信号の方が早く切り替わっているのではないかしらと思うほど、双方の島の人々の対応には差があると思います。
やはり駅側から向かいに渡る人は、「駅から向かう」→目的地に比較的近い→信号くらい待ってやろう
逆に向かい側から駅側に渡る人は、「駅へ向かう」→目的地に比較的遠い→あ、隣の人渡ったからもう渡っちゃおう
とかそういう心理的なものが作用しているのかなと、毎朝思うたりしています。



一言


CATHERINE、やってるところ見たら物凄く面白そうだった!
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