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在りし日の恋

2009/08/09 23:12
今更だけど祖母にお土産を渡しに行った。

姉と祖母と私の三人で昼間からビールを飲みつつ祖母の恋バナにわーきゃーと色めき立つ。


「中学2年生の時だったわ、戦争が始まったのは。それまでは女学校でね、ほら、中学の辺りからだんだん人間関係ってできてくるじゃない?ただ遊ぶだけじゃなくて、色々と複雑な。だから女学校にいた頃はなかなか面倒くさかったのよね。でも開戦してから私たちはバラバラに工場へ行くことになって、本当、戦争に救われたわ。

それで、私は真空管を造る工場に行ったの。他の学校の人たちもたくさんきてたのよ。勿論、男の子たちも。そうするとね、外では戦争だなんだって騒いでるけども、中ではそれどころじゃないわけ。でもね、当時は男女で二人っきりで歩いたりとか出来なかったのよ。プラトニックだったのね。だからラブレターがきたりするの。

今思えば男の子は皆大人しかったわね。男の子の方が世間の目を気にしていて、それに凄くウブだったわ。女の子の方が積極的だったくらい。だから熱情が‥!みたいなのはなかったわねぇ。

おばあちゃんが工場にいたのは、中学生から高校生くらいまでだったんだけど、一人、結構長く付き合った人がいたのよ。なかなかエリートな大学からきた人で、両親と姉は満州にいたのね。あ、付き合ってると言っても、手紙のやりとりが多くて。昔は今と違ってあまりレジャーがなかったのね。だから本を読むわけ。そうすると手紙も文学的になっていくのよ。彼からの手紙なんて、こんなに厚くて、(ジェスチャーにして1cm程)、言いまわしも難しかったわ。だから‥、そう、飽きちゃったのね。

そのうち私の家も空襲で焼けちゃって、親戚の家に居候させてもらうようになったの。その頃彼は母親たちと連絡が取れなくなって、彼自身凄く不安定だったみたいなのよ。私は、詳しくは知らないけど。でも私の方も色々あったし、このまま別れる方向でって考えていたら、ある日彼の弟が家までやってきて「今、兄が絶望にうちひしがれているから、兄と会って欲しい」って言うわけ。

‥私も薄情ね。そう言われても突っぱねてたわ。それに、二人だけの問題じゃなかったのね。居候先の家に彼の弟が来たわけだから、親戚も介入してきちゃったりして。なんていうか、昔はお付き合いをする=結婚だったのよ。だけどその時はごちゃごちゃしてて結婚なんて出来る感じでもなかったし、私なんてお金を一銭も持っていなかったし、そもそも向こうの親がいいって言わなかったかもしれないし、その親がいつ帰ってくるかもわからないしね。

だから、一回だけ伊勢佐木町で会って、それきり。

その人はもう亡くなってしまったけど、もし生きていたら会いたい人の一人ね。手紙、とっておいたらよかったわ。
‥うーん、そうねぇ。こうして色々思い返してみると、これといって何もない、平平凡凡な人生だったわ。でも、人は戦争戦争っていうけれど、私たちには私たちの青春があったのよ。今より儚くはあるけども」

そんな論文みたいな恋文なら私も読んでみたいわ。ゲシュタルト崩壊しそう。
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