天馬博士!

2008/04/25 13:25
サイコ新刊でてた。

人の人格をプログラミングって、どんな感じなんだろう。磨知の人格がプログラムだとしたら、雨宮くんを好きになったのはやはりバグなんだろうか。

人格はプログラムの仕組みに似ているのかもしれない。人格とは脳から発せられた指令を分岐→判断→処理するプログラムの塊のようなものかもしれない。なら、心は人格のどこに在るというのだろう。

私は、自分が自分の意志で考えている、と自覚した時点から、心というものが存在するんじゃないかな、と思っている。
自分という存在に気付いた瞬間から、自分、あるいは自分と他人というものに縛られ続けて、そこから迷いとか葛藤とかが生まれてくるわけだし。

プルートゥで、子供を亡くしたロボット夫婦が、
「なぜ人間はロボットに家庭を持つ制度をつくったのかしら。あんな制度がなければ、こんな気持ちにならなかったのに」
みたいなこと言ってた。

これは既に心を持ってる状態だと私は思う。
「なぜ」とか「のに」とか、自分のことを自分と人間で比較しつつ考えた結果のあらわれだと思う。

人間に心は存在する。でも悲しいことに他人のそれを識別することは出来ない。

例えば天馬博士はアトムをつくったわけだけども、彼はどうしてもアトムが偽物に見えてしまい、アトムを手放す。

原作のアトムはちょろっとしか見てないからあまり覚えていないが、アトムは正義感のある、子供らしい、いわゆるいい子ちゃんだ。ったと思う。

それは天馬博士が亡き息子への願望を含めてアトムを製造したからだ。(と勝手に思っている。)
飛雄の人格を無視した時点でそれは飛雄とは違う人格になってしまうのは当たり前だが、アトムを受け入れられなかったのにはもう一つ、アトムの人格をつくったのが天馬博士自身だから、という理由もあるだろう。

自分と他人という関係の他人は、見えているようでいて自分の空想でしかない。つまり他人とはブラックボックスでなければならない。これが人同士の関係だ。

だが天馬博士とアトムは違う。彼にとってアトムの反応など全て想定内のはずだ。きっと天馬博士にはアトムがただの処理の集合体のようにしか見えないに違いない。

例えばアトムが心を持って天馬博士に接していても、天馬博士にはアトムが通常の処理をこなしているように見えるだろう。アトムがいい子であればあるほど。(きっと天馬博士ほどの天才ならバグとかないだろうし)

人間は他人の人格を見ることはできても心を見ることはできない。だから人間はロボットに対して油断をする。
自らがロボットだという自覚すら、自分たちが与えているにすぎない、
という風に見えるから。

人間は中身が見えるものを見下す。あるいは、中身が見えるものに対しては、人間の一存でどうにでも出来ると思っている。気がする。

動物は心があるかどうかわからない。だから、異常に尊重したり人間並に扱われたりもする。
あるわけねぇ、とかただ本能のままに生きてるだけだと思ってる場合→機械的に世話をする。あるいは眼中にない。虐待。
(ちなみに私は動物虐待と同じくらい動物愛護が気に入らない。)

ロボットも似たようなものだ。知識のない人にとってはロボットもブラックボックスなのだから、人間のように感じたり、心があるのではないかと思うことは当然あるだろう。
あるいはロボットはただこちらの与えたコマンドに従っているだけなのだと考えている人は、ロボットに非人道的なことを課すことに抵抗はないだろう。

で、なんだっけ。考えを研磨することなく書きなぐってたらわかんなくなったな。まあ、ともかく、自分という意識をしだした時から人格は心の支配下で、その機能を果たす。と。
感情は人格という処理の集まりの中の処理の中の一つにすぎない。つまり、心のない状態で人格が機能している場合は、感情もただの反応にすぎない。と。

(あーーー、私のブログは文字の羅列というより、思考の羅列だな。ただ思いついたまま書きなぐって修正しない。修正するとなにもなくなる気がして怖い。)


天馬博士は六十億人分の人格を分析してプログラミングしたというけど、自分の人格もプログラミングしたのかな。他人の人格はともかく、自分の人格を分析してソースにするなんて出来ないと思ってる。自分の人格はもろに心の支配下にあるのだから。
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