消化活動

2008/04/19 10:54
人を理解することなんか、出来るはずがない。

と思っている。

例えば私は姉ちゃんと一緒の空間にいれば、どんな反応をするのか、大体わかる。
でも、何を考えているのかはわからない。

どんな筋道でその反応に辿り着いているのか、わからない。
笑いのツボやテンションが自分と似てるからとか、おそらく姉ちゃんも今の私には興味があって、好意的に思っているような気がするから、なんて思うことはある。

でもまぁ実際わからないし、本人だって筋道を無意識に預けて感情のままに笑ったり喋ったりする部分も多いのだろうし、他人の無意識の部分なんてわかるはずない。他人の無意識の部分なんか主観で考えたり感じたりするしかないんだから。
自分だって、じゃぁ笑いのツボがなぜツボなのかとか、では情報を受け取ってからどのように面白いと感じて笑うのか、なんてことはいちいち考えない。考えてもわからない。自分ですらそこらへんは曖昧なんだ。

だから相手のことが理解できるなんてことはまずないだろうし、相手の反応とか趣向とか考えていることがなんとなく読めるというのは、ただ単に経験だと思う。
(私にとって理解というのは100%のことだから。)

でも、
人を理解することは出来ない。
だからその努力をしても仕方がない。
だから深く人と関わったりしない。
だから自分にもあまり干渉しないで欲しい。

なんて思うのは、ネガティブだ。勿論、そんなの人の自由だけど。(そして自分もかなりのネガティブだけど)

人を理解する努力をすることは、自分を深めていくことだと思う。
好きな人だろーが嫌いな人だろーがあんまり覚えてない人だろうが、人間は一度でも会った人を自分の中に消化している(あるいはしようとしている)のじゃないかと思う。で、嫌いな人とか好きだけど満たされないとか嫉妬するくらい羨ましいとかそういう人にあうと消化不良を起こす。

理解しようとして、無限ループに陥って更に消化不良が悪化することもあるけど、人の気持ち・立場・考え方を自分なりに考えていくと、(それは無論ただの自分なりの考え方にすぎないが)自分の考え方の方向性を他方に広げていくことが出来る。んじゃないかと思う。

考えても考えてもわからない場合は、自分と自分の中の他人が葛藤を起こしている状態。
一人でいても、むしろ一人でいる時ほど神経がすり減る。
相手が実際に目の前にいるときだけ葛藤が起きるよりも、何倍も病む。

でも、それを消化して昇華させていくのが人間かなぁと思う。
亡霊に囚われていた人が、亡霊を昇華させていく瞬間て、強くて綺麗で凄く悲しい。

消化って、同一化だと思う。
自分の中での他人が、時をかけて消化されていくうちに、完全に自分の一部になってしまって、自分と自分の中の他人が葛藤することがなくなる。
で、解放される。苦痛だった気持ちは昇華される。大切だった気持ちは"一人"という状態では成り立たないので、その効力を大幅に喪失する。

他人というのは必要不可欠だ。
褒められたりけなされたり、自分意外の人がいなければ、人間は感情なんて、感性なんて、性格なんて、要らないだろう。言葉なんて要らないだろう。
言葉がない時点でだいぶ意識なんかは薄れると思う。ていうか、ああ、そっか。そもそも自分が自分だということも意識しないで曖昧でいられる状態かもしれない。
想像つかないね。ともかく、相手がいるから相手や自分を意識するし相手が理解できない得体が知れないから相手と自分という葛藤がおきるわけで、自分の一部になっちゃったら葛藤の仕様がなくなる、と。

悲しくなるのは葛藤出来なくなるほどに自分の中の相手が自分の一部になっちゃったからじゃないかな。つまり、自分の中が一人に戻るから。

うん、消化は断じて理解じゃないよ。理解したと思えるような道筋を自分に持つことができたとか、割り切ったとかそんな感じだと思う。
結局、自分には自分の解釈しかできなくて、本当のことなんてわかんなくて、だから他人なんていうのは自分の中の虚像にすぎなくて、それなら理解しようとすることは自己満じゃないかと疑ったりして、膨張するように一人だと気付いて、他人を遠く感じる。
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