短編集/少しの解説

2008/01/29 00:10
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最近ずっと歯をくいしばっているような気がする。家ではダラダラ本を読んだりしていても、気付いたら一部でずっと力をこめていた、というような、重い、それでいてその部分は何も考えていない感覚。

だからそれに気づくと、疲れた、という気になります。
それでもその怨霊を取り除くことはできなくて、原因不明。

本当に力をこめているというよりは、何かのことをずっと考えて、考え過ぎたというような感覚だと思うのだけど、意識はそれに気づくまでずっと他のことを考えていたわけだから、どうにもよくわからない。

――

そういえば、某人が日記で久しぶりにゲーテの詩を読んだら昔とは大分印象が違った、と言っていたので私も読みたくなって本棚を探してみたが見つからない。ゲーテはいつ頃読んだか自分でもさっぱり覚えていないが、当時あまり良さがわからなかった記憶があるので再び読んでみたいなぁと思う。買うか。

――

別に、本か見つからなかったから、という理由ではないがそろそろ盛大に掃除をしなければならない。普段はなんてことないけれども大掃除の時ばかりはゴミの分別がめんどくさくてかなわないと思う。あまりでかいものを捨てると金もかかるし。
三輪明宏の言うように、部屋の状態が自分の心の中を反映しているのだとしたら、自分は常に物事を適当に扱って処理しきれなかったものをグズグズと本当に困るまで溜め込む感じだな。簡潔に私の部屋を表すなら、しまいきれない、という状態なのだけど、これも日頃から整理整頓をするという思考が開拓されていないから起こることなのだと思う。

うだうだはいいとして、とりあえず分別から始めよう。

――

論理的思考←私に足りないもの

未だにケサランパサランを探したり自分はクッキーモンスターの生まれ変わりなんじゃないかと思ったりすることもあるけど、論理的な考え方は身に付けねばなと思う。
このブログで思うのは要点が全然ないな、ということ。

まぁ ブログ だし?何かを主張したいというか、ただ思いついたことをそのまま打ち込んで送信してるスタンスだからなくても一向に構わない気もするのだけど。
敬語とタメ語が入り交じるのもそのせいです。多分やろうと思えば全て敬語にすることもできるのだけども、敬語で言いたいなーと思うところもあれば独り言みたいな気持ちはタメ語のところもあるし、ブログだから余計に入り交じるのだと思います。
読み手のために書いてるというよりは、出来れば思いついたまま書きたくて。私は自分の中で思いついたままの状態を直接表現、読み直して変えたものを間接表現だと思ってます。この考え方は多分ウィトゲンシュタインの影響のような気がします。
まぁともかく今はほとんどが直接表現なのですが、もう少し考えながらブログを更新していけば、少しはこの整理の出来ない頭もましになるのではないかなーと淡い期待をしたりしてます。でも小言を聞いてるような気持ちで流して欲しいんですけどね、皆には。

そして自分は「‥が、‥。」という文が多いなぁと思うのですが、これはどうしたら減らせるのだろう。

――

地団駄を踏むことが薄れてきている。
これはよくないな、と思う。例えば空腹もそうなのだが、あまり食べなければだんだん腹も減らなくなる。逆に食べれば食べるだけすぐに腹が減るようになる。これと同じで衝動とか、そういうものを抑え続けるとだんだんそれが和らいでくる。
私の洋服に対する感覚がまさにそれだ。まぁ、自分自身にあまり期待しなくなったというのもあるけれど、買わないでいるうちにどうでもよくなる。きっと買い始めればまたいろいろ揃えたくなるのだと思う。

地団駄を踏まなくなるというのは、自分にとって やりたいことをやらなくてもまぁいいや というような気持ちになってきているということで、それは絶対に私が否定しなければならないことだ。

来年度からは更に色々やりまくるぞ。衝動が衝動でいるうちに行動することが、自分にとっては大切なのだ。
そうしないと、全てどうでもよくなってしまうから。

――

どんな綺麗なものに惹かれたってお前の根っこは悪っっ趣味だろ!

善とか悪とか、どうでもいい。エロでもグロでも綺麗でも、惹かれるものは惹かれてしまうので自分がよくわからない。

そいえばなんとなく自分は

美しい=完全、強さ
綺麗=脆い、瞬間的

というイメージがあります。全てがそうではないけど。美しいものは絶対的な感じで、他人を受け入れなさそう(消滅させられそう)な感じ。綺麗は逆に他人がうかつに触ったら消滅しちゃいそうな感じ。

――

クリオネに咀嚼されたいというのは、別にクラゲでもいいのだが、吸収したりされたりしながら自分が薄まるということをよく夢想するのだ。以前のハンドルネームが魚だったように、よく海の底にいるイメージを浮かべる。そうするととても落ち着く。
自分が薄まるというのは、意識と無意識の間でいる時に似ている。自分の中で一番鮮明に空想やら思考やらが働いている時だ。

融合というのはよくない。クリオネやクラゲなど、何も考えていなさそうな、水分の多い生き物ならいいが、人間なんかは絶対だめだ。
それは恐らく変身物語にでてきたもののように、融合したら気味の悪い姿になり、しかも意識は一人のままで残ってしまうからだ。(一人の意識は消滅する)
そんな絶望的なものにはなりたくない。

綺麗な言葉をこぼす人を見掛けると、その人を理解(正確にはその綺麗な何かだが、)したいがためにその人に成りたくなる。これは少し融合したいという気持ちに似ているのではないかと思う。恐らく非常に迷惑なことなのだ。

――

自分を小出しにしてしまう。まぁ自分の中でわりきれないものやらどうでもいいものは大抵人に合わせた反応をしている、と思う。
合わせた、というか、期待された反応を多分私はしている。

八方美人というほど得な役回りはできていないが、人によって多分言ってることが違う。でも全てが私。(例え自分自身戸惑うとしても)
見せている面が違うだけ。

人に詳しく説明や解説をするのがめんどくさかったり、ともかくめんどくさがり屋なのでよく適当に(矛盾も生じない程のどうでもいい)嘘をつく。適当に答えなければ会話は円滑に進まない。
誤って認識されるのは、別に構わないと思う。

ブログでは自分を統一しようとしているわけだけど、実際人前に行くとカメレオンになってしまう。だから自分を介して友人に友人を紹介したりもしてる。バイトの人と学校の人とか、まぁ趣味が合いそうな範囲の人たちでだけども。

カメレオンになるくせに許容範囲以上のことを期待されると不機嫌になる、のだと思う。
それは、例えば音楽のスキルとか好意とか、自分でも基準はよくわからないけども、いきなり不機嫌になる。
不機嫌になるのは期待されるからじゃなくて、自分に対して不機嫌になる。

それでもいんじゃない?とオギ様に言われたけど、私には不機嫌になって人をぞんざいに扱うということは結構なストレスだ。だったらボッコボコに殴られて海に落とされた方が安心して「あはは」と笑える。人の優しさは難解だ。それに自分が勝手に不機嫌になって次回いけしゃあしゃあとハイテンションで会う、というのはなんとも申し訳ない。だから私は一部の人には割と頻繁に申し訳ないと思っている。でもきっとそれを伝えることはただの自己満で、なんだか余計にタチが悪い気がするから生粋の気分屋ということでこれからもやっていこう。

――

血液型とか、そういったものはあまり信用しないが、ある程度の型はわかる。
私はB型なのだが、あまり人気のない血液型だ。それも手伝って私はそういうものを信用しない。

長くいる人はA型が圧倒的に多いのだけど、その中でもはじめは「B型って好きじゃないなぁ‥」という人が何人かいて、私は今(ふん、そんなことなかっただろう)と内心思ったりする。

今聞いて見ると、「いや、玲奈はなんか違うB型だよね」「B型のくせに人に気を遣う」「え、あんたAじゃなかったっけ?」とか好き勝手なことを言われるのだが、‥だからさぁ!と思う。

偏見で見んなよ!!

(家族全員B型です)

――

ちなみに言えば私に「だから女って嫌なんだよね!」という発言をされると(え‥)って思う。

私も女なんだけど‥。

七割の確率で女性から言われるので、お前も女じゃん‥とも思います。

私はあんまり女だからドロドロしてて男はピュアでっていうのは信じてません。確かに男の子の方が周りが見えてないのかなと思うことはあるけど、女の子だって純粋な子はいるし男の子だってしたたかで(うわぁ‥)と思うこともあるし。全ては個人差です。全ては個人差です。

(二回繰り返したよ)
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