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悪夢日記

2013/09/20 00:54
6月以降、覚えている/記録のある範囲。
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夢と夢じゃないことの話

2013/01/23 23:26
思い出すまま、乱雑に。

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ケタケタケタケタ

2010/08/30 20:46
嫌な夢を見たのですわ。
一人旅で、珍しく日本のどこかよく知らない山に登って、その頂上に記念のガチャガチャがあったんです。
それを見て、ふと思い出したのですけど、今朝の占いでトカゲの抜け殻を手に入れるといいと、確かニュースのお姉さんが言っていたのでしたわ。
それで、ガチャガチャをみると見事景品の一つにトカゲの抜け殻がありましたの。
別にまぁ当たらなくとも、そうね、験担ぎのつもりでそのガチャガチャを回しました。
そのガチャガチャは一回で二つ景品がでるようになっていて、一つめは、なんだか腸のような色をした、ぬめぬめと気味の悪い虫が入っていたのです。
しかして、それはカプセルに入っていましたし、とりあえずその一つを手に取って、二つ目のカプセルを機械から取り出しました。
二つ目は、トカゲの抜け殻でした。

何故だか、その時つうと冷や汗を掻きました。
手に持っている一つ目のカプセルの中の生き物について、急に怖くなりだしたのです。
それは確かにしっかりとカプセルに入っているはずで、これはまったくの杞憂に過ぎないのですが、突然それを持つことに耐えられなくなって投げ出してしまいました。
たった一瞬のことでしたが、気付けばどうやら二つ目のカプセルも投げ出してしまっていたようでした。

験担ぎのつもりが、一度それを手にしたことにより少なからず執着心が芽生えたと見えて、投げたことがわかると心臓がキュンと締め付けられました。
ただ、勿論無くても構わないものだということはわかっていたので、意識は至極正常でありました。

なに、今さっき買ったばかりのガチャガチャの景品を探すことはちっとも不自然なことではありませんし、この程度では執着しているとも言えないでしょう。
私は這いつくばってガチャガチャの下を覗き込みましたの。
すると、すぐ近くに一つ目のカプセルが落ちていました。それは相変わらずただのカプセルでありましたけど、手を伸ばせばすぐにでも噛み付いてやると言わんばかりに威嚇しているように思えました。
ええ、ええ、これはまったくの杞憂なのでございます。
カプセルにはヒビも入っていないようですし、虫もそこにきちんと収まっていました。
ですが、反射的に手放すようなものをわざわざ再び拾う必要はないだろうと判断し、その存在は放っておいて、二つ目のカプセルを探すことに専念しました。

ガチャガチャの下にも、他の観光客の足元にも、二つ目のカプセルは見当たりません。
もうそれは、どこにも無くなってしまったようでした。

とても悲しくなりました。
もともと見付つけるつもりもなかったのに、今ではとても悲しくなって、意識だけが必要ないんだとアラートを告げていました。


‥…。
ああ、嫌だ。つまらない気分になってしまったわ。
まるで肋骨に雨雲でも飼っているようよ。
うふふ、さてと少し歩きましょうか。
程なく私の小鳥ちゃんが肋骨の檻から出して出してと小さく囀るのでしょうね。

電波さえ届かない人ごみの密室がわたくしの居場所ですから

2009/09/20 07:38
思うところが在って、心臓が痛い。


書きたいことはあれどなかなか更新が出来なかったのは、平日や休日があまりに塗り潰されていて、まぁ、要するに面倒だったのです。
幼稚園の頃だったか、真っ白な紙を、様々な色のクレヨンで塗り潰し、その後黒いクレヨンで全てを覆い、爪楊枝などで軽く引っ掻くと、花火よろしく暗闇に色彩が現れる、という技法を図工でやったのですが、前々回の更新以来、ずっと白紙を塗りたくるような日々を送っています。

自分の感情や行動があまりにも無秩序で、だからと言って、何、ということもないのですが。

「めんどくせ」

と、そういう訳なのでございます。

やめた。

忘れかけた夢の話をしましょうか。
それは、民族のお祭りに関する夢でした。

わたくしが、憂鬱な気分でモロッコに立ち寄った時のことです。二日程、どこを回るでもなく滞在し、次の場所へ行こうと思うていました。憂鬱による体力の消耗が激しく、ただぼうとするにはこのセピアな町が最適であったためです。町の人が言うには、近々この地域の有名なお祭りが開かれるのだそうで、人々はそのための準備をしている。明日の夕方ならそれを見ることが出来るということでした。
わたくしは、勧められるままに甘ったるいお茶を一口飲みました。

朝から、砂を含む風と甘ったるいお茶で、わたくしのアンニュイは空気を媒介にして、わたくしを含む半径1mが麻酔でもかけられたような具合でした。外を歩くことは、楽しくもなく、苦しくもなく、ただ純粋な居心地のよさを感じます。けれど、それも恐らく僅かな間。何も感じないでいられるのは体力のあるうちだけなのでしょう。
それでも、ホテルに戻り、またあの汚れで曇った窓からの景色と温かいお茶を味わおうとは思いませんでした。それはとてもわたくしの疲れを癒してくれたでしょうが、一度こうして空気の一部になってしまうと、なかなか実体に戻れなくなってしまうのです。思考や感覚が鈍り、全ての境界が曖昧で、それにね、自分の存在を感じないということ程、居心地によいものはないのですよ。そしてそれこそが、わたくしの憂鬱を薄めてくれる行動なのであります。

・・・。

夕方、でした。自分でも驚くべきことなのですが、今までずっと空気になっていた様なのです。疲れや苦痛は、わたくしを現実に引き戻してはくれませんでした。
こうしてまた自覚できる意識の独り言をし始めた頃には、あたりが薄暗くなっていました。なんとも、静かなものです。
曇った空と、荒野を眺めていました。すると、荒野から女たちがこちらへ向かって歩いてくるのです。女たちは皆一様にカーキのドレスを着て、モヘアのようにふわふわとした真っ赤なかつらを被っていました。そして、頭を上から包み込むような形で、手首型の飾りがぴったりと耳を隠しているのです。耳あての様だったと言った方がわかり易いでしょうか。

「明日になれば、準備の様子を見ることが出来るだろう。女たちは精霊を町へ呼び込むために荒野から町の中へと歩いていく。これは祭りの前に必ず行わなければならない儀式なんだ。この儀式から数日、町に精霊が宿り、メインの祭りまでいくつかの儀式を行う。もしまたここにくる予定があるなら、次は祭りの日まで滞在するといい。観光客は少ないが、君ならきっと楽しめるだろう」

確かに、私はこの場に受け入れられているような気がしました。それを受け入れたいと思うことも。
ただ、漠然とあと数時間でこの場を後にする、という意思が、(それこそなんの根拠も計画もないにも関わらず、)決まりごとのように貼りついて、引き続き逗留するという発想を見えなくしていたのです。
或いは、今この素敵な風景だけをイメージの媒体としていれば、後に行われるというお祭りも、実際のそれより幻想的でいつまでも魅惑的なものとして存在させておけるかもしれない、なぞと思ったのです。漫画や小説のタイトルなどがそうなのですが、気に入ったインスピレーションの浮かぶタイトルのものほど、読むと期待外れで、タイトルからあれこれ想像していた時の方がよかった!と、死滅したインスピレーションの欠片を眺めて茫然とするのです。
そんな訳でわたくしは向かってくる彼女たちを目に焼き付け、


以上です。
夢なので俄然半端です。でもきっとTRUE ENDです。
そうそう、手首の飾りは、皮膚の部分が緑で中が真っ赤でした。村で一番小さい手の老婆から型をとった空洞の手首に、赤い蝋燭を溶かして流し込んだような感じでした。でも夢の中の手はエラのあたりまで指が届くほど大きな手だったから違うかもしれない。精霊の手なんだろう。きっと。
夢、といえば、わたくしはモロッコに行ったこともなければこれといった興味を持ったこともありません。なので、モロッコの描写は完全にイメージです。もし「モロッコ人お茶飲まねえし!」とか思っても、あまり突っ込まないでください。

五臓六腑に染み渡る話。(最後らへんが)

2009/06/27 00:11
ぱぁっと忘れて空を飛ぶ!

連日、気が重い。
別に、何が、という訳ではないのだが、ただ漠然と。

そんな不毛な重荷なら、少なくとも今日は忘れて上から心地のよいイメージを被せてしまおう。Edit!

最近夢の話ばかりしているなぁと我ながら思うけども、よく夢を見るのだから仕方がない。だからまた、印象深い夢を、一つ綴る。(未来の私が注釈を加えるとすれば、夢のことをうまく綴れなかった。残念。)


帰り道、タクシーに乗ると、後部座席に男が座っていた。

「やあ、どうも。毎度ありがとうございます!どちらまで行かれますか?」

よく喋る男だった。耳に馴染む声だし、滑舌もいい。年齢は恐らく、30歳前後。彫りが深く整った顔立ちをしていて、誰からも好かれそうだった。日に焼けた肌と、引き締まった体がいかにも健康的だ。

「私はタクシー会社の調査員でしてね、今こうしてお客様と同乗させてもらいながら不備不足等問題がないか調べているのです。ですから、私のことはおかまいなく」


な、んだか、。

嫌な予感がした。
この男と、無口な運転手には関わりたくない。というか、関わっては行けないような気がする。

「それで、どこまで行かれるんです?」

後部座席の男は、人懐っこく馴染みやすい雰囲気を催眠術のように醸しだしていたが、同時に私は懐かしい寒気を感じていた。
それは、いつ豹変するかわからない危うさのような。

「○○まで」

それでも、私は既に車に乗ってしまっていたし、ドアは閉じてしまっている。何より、不自然なことをしたくなかったので極めて平静に行き先を告げた。

これは夢だけでなくよくあることなのだが、嫌な予感がした時に、こちらがイレギュラーなことをすることによって、何かが始まってしまうのではないかという危惧によるものだ。
それは勿論、こちらがアクションを起こさなくても起こる場合もある。或いは、結局起こらないという場合もある。イレギュラーなアクションを起こすことは賭けと同じだ。しかも、カイジのようにスリリングな。
そこには1か0しかないし、必ずどちらかを選択しなければならない。

澄んだ頭を持つ人はそこで的確な行動を選択することが出来るだろう。
しかし私のような鈍獣は常にこう考えてしまう。
「たかだかマサカの為に、行動する必要はないだろう。」
時々私は、刺されれば死ぬし、迫ってくる急行電車にぶつかれば死ぬ、ということを忘れてしまうようだ。だけれど、実際には結構簡単に人は人を壊すことが出来て、それでもそれをしないのは、それに対するシャカイテキナ対価があまりにも高いから、というだけなのである。(命綱なんてものは所詮迷信のようなものだ。目に見えないし、実際にそれが自分に装着されているかどうかはそれが崖から落とされるまでわからない。)
この前、道端にキーを差しっぱなしのバイクがあるのを見掛けたが、それと同じだ。あれを引っこ抜いて川に投げるだけで、バイクの持ち主は目の前が少々歪むことだろう。
恨みとか憎しみとか、そんなご大層なものがなくても、純粋な好奇心だけで人は人を不幸にすることが出来る。

のかもしれない、ということ。

話を戻そう。
私はタクシーの中で人が人を不幸にする可能性を考えながら、隣の男の話を聞いていた。
男はとても気が利き、感じがよく、(私にしては実に珍しいことだが、)話しやすかった。
次第に目的地に近づき、私はまだいくらか警戒をしていたものの、ポジティブな可能性が思い浮かんできた。

・この辺りまでくれば、家も近いしなんとかなるだろう。(残念ながら今考えると、車内にいる時点でなんともならない)
・この人たちは確かに怪しい。が、もしかしたら私は彼らに選ばれなかったのかもしれない。次に乗る人か、或いは次の次に乗る人か、ともかく私は彼らには選ばれなかった。(常習的に恐ろしい行いをしている印象があったのだ)

根拠はない。今のところ私がタクシーに乗ってから考えていることで、根拠があることは一つもない。
ただ私の傾向からして、危険に近い時は可能性と行動プランをシミュレーションし、不安が絶頂に達するとプツンと切れたように前向きが流れだすのだ。

ともかく、警戒は解除することなく、(徒労に終わるかもしれないが、)生きるためにはまず車を降りなければ、と思った。
その時だった。突然隣の男が叫びだして私にイチャモンをつけだしたのだ。

しきりに、ふざけんじゃねぇ降りろ、と言っている。
車は止まり、ドアは自動で開け放たれた。


「助かった」


と思った。
ただこうして叫ばれて山に放置されるだけなら、万々歳だ。予定よりずっといい。
金も取られるわけでもないし、この場所も把握している。目的がよくわからんけど助かった。


一応、お金は取られるかもしれないと思い、或いはだめ押しのように降りる瞬間に何かが起きる可能性があるため、後ずさりするように慎重に車を降りた。

降りた瞬間、見渡せる歩きやすい道ではなく、一目散に茂みに入りながら思ったこと。

・まだ警戒を解除してはいけない。
・ひかれるかもしれない。
・仮死から目覚めた虫を食べるトカゲのように、一旦放ってから改めてぶち殺す趣向があるのかもしれない。

逃げながら家に電話をした。
そんなことをすればうまく隠れることも、逃げることも出来ないが、相手が二人で追ってきた場合、恐らく逃げられない。それに、なんといってもこの山の丁度真裏には我が家がある。まず誰かに事情を知らせることが必要だと思った。

そして、家から逆の方向へ向かう。家の方面は暗いし、人も少ない。ともかくこのまま家から離れて下っていけば、24時間営業のなんたらが迎えてくれるはずだ。そこで助けを待てばいい。

後ろをみると、運転手が追ってきていた。
予想通り、逃げられそうになかった。

「何してんの?」

前方から急に声を掛けられた。それは、先輩とその友人らしき人々だった。
助かったと思うやいなや、今度はやつらを逃してなるものかと思い、向きを変え、運転手のシャツをひきちぎる思いで掴んだ。
隣に座っていた男も先輩たちが捕まえてくれたようだ。

そのまま私たちは先輩たちが乗っていた車に乗り、近くのガソリンスタンドで家族と警察が来るのを待った。
その間、すっかり安定と現実を取り戻した私は(何故か捕まえた人々も交えて)、流れていた野球を見ながらラーメンを食べた。

その野球中継なのだが、試合が今ちょうど終わり、今にも栄光の儀式をしようという時だった。

今回で引退する選手が画面に映っていた。
何かが、始まろうとしていた。

野球というのは、優れた選手を保つために、代々、過去の素晴らしい選手の内臓を入れ替えているらしい。その儀式が今まさに行われるのだとアナウンサーが伝えていた。
その栄えある内臓が移植された者は、野球のヒーローとしてたくさんの功績を残し、一番の注目を受ける。

スポーツは儀式を重んずるものなので、この儀式もまた、儀式の純粋性を保つため、極めて原始的なやり方で行われた。

引退する選手は命を落とす可能性があるため、多少の痛み止めや点滴がなされていた。しかし、不自然な行為からくる代償として、彼の体はエレファントマンのように醜く膨張し、触っただけでもベチャリと剥がれてしまいそうなくらい脆そうに見えた。

一方、それを受け取る新人選手は痛み止めも点滴も許されない。というか、しないことが当然なので彼もまた望まないのだ。栄光もまた、純粋な栄光でなくてはならない。
彼は同輩や先輩に腹を裂かれ、内臓をごっそり持ち出された。そして、その中の一人が、部活帰りに顔を洗うような無造作さで空洞の腹をゆすいだ。
腹の中に、まだ汚れが残っているのが見えた。

そして、引退する先輩の内臓が、ゆっくりと彼の体に入れられた。それは国旗を掲げる時のように丁重だった。

ぎゃぁぁあああああああああああ


内臓が彼の体に入った瞬間、彼はすさまじい叫び声をあげた。小人や妖精のように、人間ではないようなイビツでキャラクタリックな顔に変形し、叫び続けていた。

同時に、テレビには今までの儀式の回想シーンが流れた。白黒の映像で、昔の英雄が衰弱しながらもなんとか命の補助をせずに耐えきる姿や、儀式の途中で絶命した選手の姿が、現役選手の叫び声と、重々しい音楽隊のメロディと共に映される。
野球にこういう儀式があることを始めて知った私には、この儀式が、純粋で偏狭な名誉に思えた。しかしそれは、テレビやスタジアムの中だけでなく、それを刷り込みのように常識と認識している大多数の人々の期待が集結した、一つの形であった。

なんだか、私は急速に安定と食欲を失って、伸びたラーメンに溜め息をついた。
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